さぎ草伝説 1
始めの章」 人見 輝人作
天正十八年(1590)四月五日、豊臣秀吉の率いる十万八千人の大軍は、関東の雄として北条早雲以来五代にわたって勢力を伸ばしたその根拠地である小田原城を囲みました。  城を守る将兵は五万七千人、世田谷勢の応援も空しく約百日間の戦闘の未、七月七日遂に落城してしまったのです。 その北条氏と共に世田谷を中心として栄え、北条氏と七代頼康、八代氏朝と二代にわたって婿姻を結び親交を重ねた吉良氏も運命を共にしたのです。
このように絶え間なく続く戦乱に、田畑は荒れ人は路頭に迷う動乱の世の中に生を受け、無常を感じて武士の身分を捨て仏門に入って久しい修善寺の僧「空山」は、直接には先の戦いで倒れ、誰一人として弔う者もない幾多の霊魂を慰め、二つにはこの戦いをもって終わりとし平和の蘇ることを願おうと諸国巡礼を思い立ちました。
その空山が、巡りめぐつて世田谷に入り、街道を横切る清い流れに架かる小橋のほとりに杖を休めました。 入梅の空は暗く、風は止み、高く聾える欅の梢に夕暮の迫る時刻です。 旅の疲れを小川に足を浸してとり、どこか夜の露をしのぐ場所はないかと思い巡らし、心細く感じていました。
ふと、目を上げると、ほの暗い林の中から十二、三歳ほどの童女を従え、五つ重の小袖を着て、赤い袴(はかま)の裾を取り、静々と近付く十六、七歳の美しく気高い女性がおり、驚き見詰める空山に女性は静かに語りかけました。
 「そこにおられる旅の僧よ。これに見える小橋には、世田谷城にまつわる聞くも涙、語るも涙の哀れなお話があります。 私の語る物語、しばらくお聞きください」と、身動きもできず呆然と立つ空山の耳に、赤い唇からの物語が低く響くのでした。
「盛んなる世田谷城の面影」
この橋より西北の方に、今は草むした古城跡があります。 盛んであった時のこの城には、城主「吉良氏」が源氏の正統を誇って住み、過ぎ去った室町幕府の時代には将軍の縁戚として八代およそ二百余年の間、世に「吉良御所」と、敬い呼ばれていたのです。
中でも七代「頼康卿」の時代には、最も盛んな有様で支配する領地は、世田谷・目黒の全域をはじめ太田・品川にまたがり、南は川崎に至り横浜には蒔田城を構えていました。 更に西には府中・調布・狛江を含むなど広大なものでした。 なお、北条氏綱と共に鎌倉八幡宮の造営には、大量の木材を寄進したばかりでなく、延べ五万人の人夫を派遣するなど、飛ぶ鳥をも落とす勢いでした。
頼康卿は、智・仁・勇の三徳を備えた名将で、隣国もその風に靡き、徳を慕って集まる家中にも「江戸摂津入道浄仙」をはじめとして「大場対馬入道景茂」など二十九家三十六人の、勝れた侍大将を従えていたのです。 その良き家来に囲まれて頼康卿は、春には花を愛し、夏は玉川に漁し、秋は多摩のもみじに鹿を追い、冬は鷹狩りと、優雅な日々を送っていました。
たまたま、白雪のまばゆい冬のある日、深沢・野良田・等々力あたりを馬に乗り、多勢の従者を従えて鷹狩の獲物を求めていた時のことです。青空をかすめる一羽の白鷺をみつけ、拳(こぶし)の鷹を放ちました。 鷹は見事に鷺を捕らえ、奥沢城下「大平出羽守」の屋敷近くに落ちました。
喜んだ頼康卿は、馬をとばし自らその手で鷺を抑えました。獲物を取り上げて、ふと、その脚を見ると、和歌の書かれた短冊が結びつけられていたのです。
驚いて見入ったその短冊には、
「狩人の今日はゆるさん白鷺のしらじらし夜のあけぼの」
と、一首が書かれてあったのです。
不思議に思った頼康卿は、田中・広戸などの家来ともどもこれを見て思いめぐらしましたが、謎は解けぬまま城に帰りました。
「天王丸に短冊の主を探させること」
城に帰った頼康卿は、改めて短冊を見ました。 水茎の跡のうるわしさに思わず見惚れて、いつしか未だに見ぬ書き手の女性に、思いを寄せるようになりました。 その思いは日増しに募り、誰にもいえず悶々の日が続いたのです。 あまりの苦しさに耐えかねて、密かに小姓の天王丸を呼び寄せ、「近在をめぐってこの筆の主を尋ねよ」と命じました。
命を受けた天王丸は、直ちにその探索にかかる事になりました。 さて城の門を出たものの、どこを探すあてもなく、先ずは品川橋の上に立って、行くべき方向を占ったのです。意を決し「国家太平」を祈る真言秘密の勝国寺を振り出しに、松原から赤堤、そして経堂・八幡山と、探すあてのない主を求めての歩行を続けました。
粕谷・船橋・廻り沢、さらに祖師ケ谷と、野良に働く人々に問い、貧しい農家の戸口を訪ねては、あの白鷺の飼い主を、藁(わら)にもすがる思いで求めるのでした。
疲れた足に鞭打ちながら、なおも調布の里、狛江・喜多見へと足を運びましたが、それも空しく過ぎました。
挫(くじ)ける心を励まし、お殿様の願を叶えようと、さらに大蔵・用賀・岡本・鎌田などを巡りにめぐりました。 後に残るは額田の里、諏訪(すおう)・上野毛・等々力と、はやる心を抑えての、入念な探索(たんさく)が重ねられたことは言うまでもありませんでした。
だが、その願いも空しく、ほとはと疲れ切って等々力渓谷に降りて清流に喉をうるおし、ふと上流を見ると左右から川が流れ、ぶつかりあって下って来るではありませんか。 余りの不思議に、しばらく疲れを忘れて見とれていたのです。 その時、静けさを破るあわただしい足音に、思わず立ち上がって身構える天王丸に、一人の若侍が挨拶もなく問いかけて来ました
「我が主君の御秘蔵していた一羽の鷺が、雪の朝に篭(かご)を抜け出し、行方しれずとなりました。もしや見かけてはいませんでしょうか」と。 問うべきことを逆に問われた天王丸は、あまりのことに驚き、自らの目的をくわしく語りました。 天王丸と若侍、それぞれに課せられた難題の解決が、偶然ここにあったことを知った二人の喜びは、誓(たと)えようもありませんでした。
あまりの喜びに二人は、それぞれ腰に吊し瓢箪(ひょうたん)から酒をつぎ、天を仰ぎ地に伏して、お互いの願いが叶ったことを祝ったのです。天王丸は、問う事を逆に問われた縁から、右手から流れ来る川をひそかに「逆川」と名付けたといいます。
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