奥沢親交会商店街の環状8号側の入り口を瀬田方向に10mほど行くと、「新奥沢駅跡」の石標(東玉川2−40)が立っています。 ここは新奥沢駅の跡で、開業は昭和3年(1928年)10月でした。
雪ヶ谷駅(現在の雪が谷大塚)から線路を延ばし、調布学園の近くに諏訪分(すわぶん)駅(現在の東玉川)をおき、次の新奥沢駅までの約1.5キロを行き来する単線でした。
この新奥沢線は池上電鉄が雪ヶ谷と国分寺間の開通を目指して手がけたのですが、いち早く目蒲電鉄が大岡山・二子玉川間の新線で線路用地を確保してしまったため、国分寺線計画が頓挫してしまいました。
小形の木造2扉車を中心に運用されていた新奥沢線は朝夕の調布学園の生徒を除いては利用客も少なく、池上・目蒲両電鉄の確執もあって、昭和10年11月にわずか7年でその歴史を閉じてしまいました。


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新奥沢線については東玉川に住んでおられた故大島秀麿氏が平成3年に残した「時を連れ思い残して」 〜新奥沢線のこと〜 という一文があります。
 
小さい頃実際に見聞きしたことを思い出して書かれたもので、当時の雰囲気がよくわかると思います
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