九品仏浄真寺(奥沢7−41)が建てられる前、この一帯の区域に中世から近世初期まで奥沢城がありました。 城といっても山の上に建ったものではなく、「奥沢の底なし田圃」といわれた深田に三方から囲まれ、水田面と城の一番高い面との差がおよそ5メートルの半島のような台地にありました。
東北と西北から城域に通じていた道路を破壊すると、兵力によって防御を必要とするのは南側の一面で済む平城としては、稀な要害の地形にもうけられていました。 城主は世田谷城主吉良氏の家臣中もっとも武力の優れた侍大将級と考えられる大平氏でした。


奥沢城跡土塁


奥沢城と周辺図



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世田谷区の花であるさぎ草にまつわる、奥沢城主大平出羽ノ守の愛娘常磐姫の悲しい運命の説話が名残常磐記(なごりのときわぎ)として継承されています。
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