奥沢親交会ちょっと歴史1
奥沢駅から奥沢の商店街を田園調布方面に100mほど進むと、氷屋さんとお茶屋さんの間の道を少し入った右側に赤い鳥居のお稲荷(いなり)社があります。 そこが丸山稲荷(奥沢3−10)です。
昔、この辺りから奥沢小学校にかけは小高くなっていて、丸山という地名でした。 この名前は丸く見える山という意味で、大音寺のある山の西方からこの台地を見た感じを言い表わしたものだそうで、奥沢における最初の開墾地であったようです。
以前住んでいた人がこの丸山稲荷を屋敷神として祀っていましが、祀っていた人が居なくなると、そのままになっていました。 そのうち丸山に住む10〜12軒の人たちが初午の日に稲荷講をして稲荷を祀るようになり、それも昭和の初め頃に止めてしまい、いつの頃からか奥沢親交会商店街が祀るようになって、現在に至っています。
以前は東を向いていた社は、耕地整理等の関係で現在は北向きになっています。 北向きの稲荷は願い事もよく叶うが祟りも強いといわれています。
親交会商店街では初午の日には奥沢神社より宮司を迎え、親交会の人たちが集まり、皆で榊を供えお祀りします。
毎年餅つきをして、つきたてのお餅を親交会の婦人部の人たちが小さくちぎって、あんこ、黄粉、大根にくるんで、販売します。 この時丸山稲荷を維持するため、親交会の店主たちや近くの人たちが奉納金を納めます。
丸山稲荷の端垣の碑銘を見ると商店街の有志が集まって、丸山稲荷の端垣を造って奉納したのが、昭和36年2月6日となっているので、昭和36年以前から親交会で祀っていたことがわかります。

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